帰国した頃、兄はすでに〈弁天島山本亭〉の二代目を継いでいて、私は姉妹店の〈太助〉を任されることになりました。おかげさまで多くのお客さまに愛していただいた「太助」ですが、さまざまな事情で2020年に閉店。店舗を〈弁天島山本亭〉ひとつに絞ることになりました。
ちょうどその頃、私ごとですが、広汎性発達障害(ADHD)の次男の就職について考えなければならない時期にさしかかっていたんです。それでいろいろ調べてみたところ、まず、障がい者の雇用先の少なさに唖然としました。ただでさえ個々に難しい特性を持った子たちなのに、就職先を選ぶどころかその枠自体がまったく足りていないんです。彼らだって普通の学生さんと同じく、時期が来たら次々社会に出て行かなければならないし、仕事としてできることもたくさんあるのに受け皿がない。
ならば、この料理店としての環境と料理人としてのキャリアをベースにできることはないか。息子のための職場を用意するということではなく、息子をきっかけに現実を目の当たりにして、自分の人生のビジョン、これからやるべきことを見つけたという感じでした。