1349年創業、饅頭の元祖として660余年にわたり代々受け継がれた技を誇る老舗の和菓子処〈塩瀬〉。〈塩瀬〉の初代、林浄因は中国より来朝し、日本で初めて餡入り饅頭を作りました。
後土御門天皇、足利将軍義政公、豊臣秀吉、徳川家康など多くの歴史的人物にも愛され、今日では宮内省御用の栄を賜る老舗です。素材へのこだわりも強く、小豆は餡の風味が良いことから、多くの菓子職人にも大変好まれている北海道十勝平野 音更町の小豆を使用。代々受け継がれた秘伝の味は、今日もなお熟練した菓子職人が技と心で伝えています。
昭和20年創業の京菓子の老舗〈鼓月〉。伝統を受け継ぎながらも従来の常識にとらわれることなく、現代の味覚にマッチした新しいお菓子を提供し続けています。
昭和30年代、当時タブーであった和菓子にバターやクリームを使うことを積極的に採り入れ、世の中にその名を広めました。使用する素材にもこだわり、その和菓子にもっともふさわしいものを求めて日本中から厳選、一つ一つていねいに選り分け使用しています。「夢のあるお菓子作り」を目標に、常に創造的な心で新風を吹き込んでいます。
昭和26年創業の甘納豆専門店〈銀座鈴屋〉。素材の持つ自然の味わいを大切に、どこにも真似のできない甘納豆を一筋で作り続け、その野趣豊かな味覚の数々に伝統と匠の技が生きています。
代表銘菓「栗甘納糖」をはじめ、すべての製品には保存料、合成着色料、漂白剤を一切使用せず、素材の持つ風味や色合いを存分に生かして仕上げてあります。熟練した職人が一粒一粒の状態を見極める〈銀座鈴屋〉の甘納豆は、まさに手作りの逸品といえます。
創業明治45年の〈富久屋〉は手作りだからこそできる、こだわりの生和菓子を丹精込めて作り続ける、地元に根付いた名店です。「何を守り、何を変えていくべきなのか?」を常に見極め、定番の材料を使いながらも、柔軟なアイデアと妥協を許さない試行錯誤によって生み出される〈富久屋〉の和菓子。
また四季を重んじ、旬の素材を使うことはもちろん、食感や口当たり、口溶けまでも季節の移ろいにあわせているのも、そのこだわりの証。この〈富久屋〉の和菓子は、一つ一つがこだわりの結晶。他では決して味わうことのできない、新しい味わいを今日も追求し続けています。
贈答品のプロフェッショナル〔リンベル〕が味や品質に太鼓判を押した、さまざまな仕入れ先からキズや欠け、サイズの不揃いなどを理由に贈答品から「はねだし」となった「わけあり品」を集めたのが、〔リンベル〕わけありグルメシリーズです。 若干見栄えは悪くとも、味わい・品質はともに〔リンベル〕折り紙つきの一級品です。そんな味の絶品を「わけあり」価格で限定でご提供。季節や数に限りがありますので、ピンと来た時がお買い時の逸品です。
1755年(宝暦5年)に京都で創業した〈俵屋吉富〉。元々雑穀商として小豆や穀物を取り扱い、その材料を使って菓子屋も商うこととなったのが起源。シンボルマークである俵印は、その雑穀商時代の名残りといわれています。 創業以来約260余年、「菓心求道」“常にいい菓子を求め、菓子道に励むこと”を志としながら、日々京菓子作りに邁進。今日では多くの方に親しまれる、京都を代表する京菓子の老舗の名店です。
江戸時代終期、1857年(安政4年)に日本橋で誕生した〈榮太樓總本鋪〉。以来、150余年、伝統とともに時代の“おいしさ”を追いつづけ「東京の味」として長く愛される銘菓を生み出しています。創業時から変わらぬ看板商品である金つばをはじめ、初代が創案した梅ぼ志飴や甘名納糖などは時代を超えて、今尚大勢の人の心に響く名品として愛され続けています。
〈千秋庵総本家〉は、函館の1860年創業の老舗和菓子店。その始まりは、秋田藩士だった初代「佐々木吉兵衛」が、日米和親条約の開港で賑わう函館にわたり菓子売りを開始したところに遡ります。明治期に小樽千秋庵が、大正・昭和に旭川・釧路の千秋庵が独立。その後も、伝統の味の継承だけに満足することなく、道内産にこだわった良質の素材と職人の技を試行錯誤し、年間百種もの餡を作り続けるなど常に新しい味を追求し続けているのも、長年にわたり親しまれ続けている理由の一つです。